月 蝕 の 塔
- Tewl rev Nowhn -
滅びよりも美しいものがこの世にあろうか。
--- マイア・テスラニオン“運命に関する考察”より
文字通り、それは幻のごとく砂の堆積の上に屹立していた。
漆黒に宝石を散らした満天を圧して、沖天に尖った十日の月が輝いている。
そこから降り注ぐ青白い光に照らされた地表は一面白い砂である。
遥か地平の彼方まで続く不毛の単色。
その直中にある小さな染み。
それがエキュヴァ・ノウンの廃墟だった。
“砂漠の覇者の玉座”、“太陽と月の都”と呼ばれ、栄華を極めた都市はその象徴である巨大な塔とともに砂に埋もれようとしていた。
すでにそこから人の姿が途絶えてから久しい。
今や、かつてそこに人の生活があったことを証明するものは傾き、朽ち果てた塔の残骸しかない。
《月蝕の塔(テウル・レヴ・ノウン)》
それはかつてそう呼ばれていた。
自らを《月の民(シヴィル・シド・ノルン)》と名乗っていたノウン氏族が何百年もかけて築き上げてきたモニュメントである。
が、かつて光り輝く七色のタイルが貼られていた塔の壁面は激しい砂嵐に削られて摩耗し、優美を誇った文様彫刻に昔日の面影はなかった。そもそも、その昔『天にも届く』と形容された塔の頂部周辺は崩れ落ち、塔全体もやや西に向かって傾いている。
“寂寥”という言葉が、今やまさに形となってそこにあった。
「しっかし、何も好き好んで、あんな不景気な場所を根城にしなくてもよさそうなもんだがなあ」
闇術師ロオナが切った期限である三日目の夕刻、テオンことヴェスラ・テスラニオンとメイエ・ラ・アカナバル、二人の姿はその《月蝕の塔》を望む小高い砂丘の上にあった。
砂漠の地形は風の影響によって日々変化している。そこは延々と続く砂の海原にいっとき生じた小さなコブだった。
足場の悪い斜面をよじ登って遥か西を望んだ彼らは血のように紅い夕空を背景に、自分たちの目的地をようやく目視したのである。
「確かに雰囲気のいい場所じゃないわね」
テオンの言葉にうわの空で答えながら、メイエが軽くつま先だって《月蝕の塔》が少しでもよく見えるように背伸びした。
すでに日は大地の西の端にとっぷりと沈もうとしていた。紅から藍へと美しいグラデーションに染め上げられた空を背に、墨色のシルエットがそこに巨大な遺物が存在していることを知らしめている。
「さて、と……。まずはどーしますかな? お嬢さん」
背中に背負ったブロードソードに手をやって、その抜き具合を確かめながら、テオンが尋ねた。
「正面から堂々と入ってゆくなり、どっか裏口を探してそっと忍び込むなり、できる限りのリクエストにはお応えしますが?」
「そうね。まずは隠し通路を探すわ」
「おやま」
メイエの返事は予想外であったらしい。
テオンは器用に右の眉毛だけを釣り上げて見せた。
「そらまた、正義と誠実をモットーとする地母神ラ・ガイアの巫女さんとも思えないお言葉ですな」
「だから、あたしはもうラ・ガイアの巫女じゃないって言ってるでしょっ」
メイエが不機嫌そうに砂丘を下り始める。
「待ちなさいっつーの。おまい、短気はいかんよ、短気は」
その後を、よたよたテオンが追いかけていった。
*
砂の上に棒切れで円を描く。
直径一リラーイ(約一・七メートル)ほどの、何の変哲もない円である。
続いて、円の中心を通って東西南北、四方に伸びる十字線を引く。
十字の線と円弧が接する場所にそれぞれ聖獣を紋章化した神聖文字を配する。
円弧に沿って、やはり神聖文字で聖句を書いてゆく。
いつの間にか円弧は複雑な装飾の施された同心円になっていた。
「そんで、ここにこれを描くっと」
メイエは棒切れをすらすらと操って、魔法陣を完成させていった。
「で、こいつがこう……っと。はい、おしまい」
メイエは右の人差し指を自分の頤に持っていって、自分のアートのできばえを確認した。
「うん、ざっとこんなもんね」
テオンはそんな相棒の様子をぼぉーっと見ているだけである。
「よくもまー、こんな複雑な図形を暗記してるもんだなあ」
テオンの賞賛の嘆息を、メイエは鼻であしらった。
「あたしだって、暗記してるわけじゃないわ。ただ、図形の規則性、法則性を覚えてるだけ。それにこの種類の法印はその場所の“竜脈”の流れ方に合わせて変えないといけないから、暗記ってわけにいかないの」
「そんなもんなのかー」
テオンには完全に理解できない世界である。
「そんで、結局こりゃいったい何なんだ?」
「ららららら」
テオンのひどく根元的な疑問に、メイエはコケそーになった。
「それじゃあんた、そんなこともわからないで今まで何に感動してたのよっ」
「いや、なんかわけわからんけど、すげ〜な〜と」
「ごめんなさい。あたしが間違ってました。あんたみたいなアホウに深遠な魔法の世界を理解してもらおーと思ってたあたしが悪うございました」
テオンの壮絶にのー天気な感想にずきずき頭痛を覚え、メイエはこめかみを押さえた。
「よーするに、あんたみたいな脳みそウニにでもわかるように説明するとね。これは大地の精霊を召喚するプラットホームなのよ。この四つの聖印が周囲の竜脈から精霊力を取り込んで、その結果……。ちょっと、ちゃんと聞いてる?」
「よーするに、隠し扉の在処を知ってる大地の精霊さんをこの場に呼び出してくれるっつーわけだよな?」
「そ、そーよ。ちゃんと理解してるじゃない」
長々と魔法の講義を始めそうになっていたメイエはテオンの的を得た簡潔な説明に赤面した。
二人が立っていたのは《月蝕の塔》の基部だった。
ここまで来ると、この塔がいかに尋常なものでないかよく理解できた。
周囲をぐるりと回って推測されたことだが、塔の基部は正八角形の断面であるようだった。
問題はそのサイズである。
八角形の一辺の長さは歩幅で計った粗い計測でも、確実に三十リラーイ(約五十二メートル)以上あった。
しかも、“塔”であるから、基部の幅より、高さの方が高い。
日が落ちて周囲が暗くなっていたから歩幅による測定より精度がさらに落ちるが、メイエは三角測量による塔の高さを七十リラーイ(百二十メートル!)と推定した。頂部が崩落していてこれである。建立当時の偉容はいったいいかほどであったのだろう。
「まったく正気の沙汰じゃねーぞ。しかも、これだけばかでけェくせに、入り口一つ見あたらないときた。わざわざこんなとこまで人を呼び出しておいて、お客に対して無礼もいいとこだな」
そのテオンの悪口雑言に対して、メイエが提案したのが精霊の召喚を試みることだったのである。
「そんじゃ、いくわよ?」
「おう。勝手に始めてくれい」
「なに偉ぶってんのよっ」
テオンの言いざまに頬をぷっと膨らませながら、メイエは魔法陣の前にどっかと腰をおろした。脚を組み変え、膝の上で印を結ぶ。結跏趺坐というやつだ。
呼吸を整える。
「地の竜脈を巡りし大地の精霊よ。豊穣を司る地味操るものよ……」
瞑目した彼女の唇から、神聖語の呪唱が流れ出た。
と。
突然、魔法陣を描いた地面がぼこぼこと盛り上がった。
「え?」
「おいおい。まだ始めたばっかだぞ。ちっと登場が早くねえか?」
テオンと、そしてメイエまでが怪訝げな表情をつくったとき。
ぼひゅっ!
砂のドームを突き破って、“なにか”が飛び出してきた。
「ぐぎゃあっ!」
甲高い声がメイエとテオンの鼓膜を打つ。
「きゃっ!」
「わおっ!」
驚いて二人が耳を押さえているうちに、その“なにか”は遠く星が輝いている空へと飛び去っていた。
「……なんだ、ありゃ?」
呆然とその方向を見上げたテオンの前で、メイエは唇を噛んだ。
「……騒霊……バンシーよ」
「バンシーって……王宮で警報器代わりに地面の下に封印しといたあれか?」
テオンの言葉に、憮然としたメイエがしぶしぶ肯いた。
「そう。この辺りの地面にはやたらとそいつが多いみたい。きっと連中の仕返しね」
掌を地面にかざして、遠隔感知の呪文を唱えながら、言う。
「くっそ。俺たちがこーゆー展開になるっつーのを読んでたんだな」
テオンも忌々しげにうなった。
「そんじゃ、大地の精霊の呼び出しとやらは失敗か。やれやれ。どーしたもんかね。試しに、塔に向かって『開け! ゴマ』とでも言ってみるか?」
テオンがその冗談を口にしたとき。
ごごご……。
低いうなりとともに、二人の目の前で塔の壁に亀裂が入った。
髪の毛ほどのひびもなかった石の壁に歪んだ楕円の線が走り、閉じた楕円の内側が塔の内側にごん、と動いた後、横にスライドする。
ぽっかりと口を開けた闇をのぞき込んで、テオンがメイエを振り返った。
「何でも言ってみるもんだな。おまいさんの精霊召喚より、俺のじょーだんの方がよっぽど効果がある」
ばちんっ!
メイエは無言のまま、テオンの顔に掌の紅葉を咲かせた。