王 と 姫
- King and Princess -
我、世に生を受けたる理由(ゆえ)見い出したり。
--- ウントバ・チャネイア“詩篇・美姫に捧ぐ”より
「驚いたね。マトレイト砂漠のド真ん中にこんな豪勢な王宮があったなんて」
幅が十リラーイ(約十七メートル)はありそうな広い廊下をひょこひょこと歩きながらテオンが漏らした感想はこうだった。
言いながら、すれ違う女官の胸元をのぞき込んだり、壁にかけられた見事な細工の長槍をつついたりする。落ち着かないことこの上ない。
そのあまりの浮薄ぶりに、案内役を仰せつかったメイエの堪忍袋の緒が切れた。
「もおっ! 大の男がうろちょろするのはおやめなさいよ。これから、国王陛下にお目通り願おうってときに」
「別に、こっちから『お目通り下さい』なんて願ったつもりはねーんだけどな」
「へ理屈は言わないのっ」
なんのかんのと口喧嘩をしているうちに、二人は謁見の間に到着してしまった。
そこは壁の一辺が二十リラーイを越えるのではないかと思われる豪華な部屋だった。ふつうの建築物なら三階あたりになるであろう丸天井に、王室の聖獣である水龍の壮麗なフラスコ画が描かれている。
序列に従って壁際に武官、文官がずらりと居並び、値踏みでもするようにテオン、メイエの二人を見ていた。
「なんだよ、あいつらは?」
「だから、おとなしくしてなさいってば」
肘でつついてくるテオンをメイエが小声で叱りつけたとき、広間全体に大音声が響き渡った。
「オル・ラハート国王陛下のおなぁりぃぃぃ」
宣伝官の声である。
さすがのテオンもそれまでのへらへらした態度を控えた。下座におとなしく膝をつく。
家臣たちが一斉に広間奥、主の居ない王座に深く礼をした。
その玉座の傍らに仕立てられた浮き彫りの見事な扉が観音開きに開く。
絹の豪華な衣装を身にまとい、額に略冠をいただいた初老の国王が若い女性を引き連れて姿を現した。
しずしずと歩いて、玉座につく。娘はその傍に立った。
「そちがヴェスラ・テスラニオンか?」
「ははっ」
オル・ラハート国王イズラナク・オル・ゴートの誰何の言葉に、テオンはすっと頭を下げた。驚いたことに、西方諸国の王宮で用いられる礼法に則った優雅な動作だ。
「国王陛下に我が名をお知りいただくとは、光栄に存じます。わたくしが“鋼の法護者(ティルス・ロ・マイオン)”、“龍法を修めし者(タアク・ホウ・ドラコア)”ヴェスラ・テスラニオンめにございます」
「ほう」
テオンの名乗りに、イズラナク王は目を細めた。顎に蓄えた白銀の美髭に右手をやる。
「マウラの“ロ・マイオン”と聖真教導教の“タアク”、ふたつの尊称をともに持つとは珍しいのう」
《大陸》においては、同時に二大宗教であるマウラ教と聖真教導教の両方から階位を授かることは不可能ではなかった。双方の宗教圏の間にマトレイトという巨大な障壁が立ちふさがり、宗教戦争など相互が相克するに足る接触が足りなかったせいである。
むしろこの場合驚くべきは“世界の端と端”と呼んで構わない両宗教圏で、ともに高い階位を授けられるほどの才気に対してだったろう。
「いずれも世に法の正しき力が存在することを知らしめた者に与えられる名前。わたしくは当り前のことを当たり前に行っただけにございます」
テオンの神妙な言葉はイズラナク王の心証を良くしたらしかった。
「うむうむ。こたびは無断で町へ出た我が娘テルナを妖しの術を使う闇術師より護ってくれたとのこと。王、心より礼を言うぞ」
「恐れ入ります」
深く礼をしたテオンは上目使いに王の傍らにたたずむ女性を盗み見た。
テルナ姫である。
だが、今の彼女はもちろん町娘の変装姿などではなかった。
美しい金糸のような豊かな髪はみごとに結い上げられ、その肢体は砂漠地方特有の透けるような薄絹に包まれている。
町娘姿のときも十分愛らしかったが、ドレスアップした今の姿は照り輝くばかりである。
「テオン、わたくしからもお礼を言います」
「あの程度のことで姫君の玉音をいただくなど、恐縮です」
「何を言う。我が娘テルナの命は王家の至宝“水龍の宝珠”に劣らぬ大事なものじゃ。そちはそれを闇の魔手から護ったのじゃからな。遠慮をすることはない。後で、宮官より褒美を取らす」
「ははっ」
と、ここで王はそれまでの柔和な微笑みをその顔からぬぐい去り、テオンの横に控えたメイエを見た。
「……ところで、メイエ」
「は、はい」
イズラナク王の低く抑えられた声に、メイエは低く頭を垂れた。
「余が何を言いたいか、すでにわかっておろうな。そちはこたびの事態に備えて、テルナの身辺を警護するために特別に雇用された警護官のはずであった。その警護官が被警護者であるテルナを危険に満ちた市中へ連れ出してなんとする! いかような沙汰があろうと、覚悟はできておろうな?」
「お父さま。メイエは悪くありませんっ」
イズラナク王の叱責の言葉を、突然テルナが遮った。
「な……、なにごとなのじゃ?」
日頃からたぶんそうなのであろう、おとなしそうなテルナの思いもよらない激しい口調に、王は目を見張っている。
「城を抜け出して街へ連れていってくださいと頼んだのは、実はわたくしなのです。メイエが話して聞かせてくれた街の様子があまりに楽しそうだったので、私の方からお願いしたのです。ですから、叱るとすればメイエではなく、わたくしを叱ってください」
「む……、む〜ん」
自分の娘のはっきりした物言いに、イズラナク王は表情を困惑の色に染めた。
と、王の玉座に一番近い家臣の一人が会話に口をはさんだ。
「王よ。こたびのような事態があるを予見して、わたくしはあのような市井の女戦士を雇うことに反対したのですぞ」
身の丈が一リラーイを一リック以上越える巨躯の男である(一リラーイ一リックは約百九十三センチ)。体格に似合った、太い重厚な声の持ち主だ。この場で腰に帯剣を許されているところを見ると、王室警護隊長であろうか。
「しかしのう、マグバードよ。メイエはそちの配下より選抜された三名の戦士を破り、その優秀さを証明したのだぞ。その点はそちも認めておったではないか」
「戦士としての技量と、王やテルナ姫さまに対する忠誠心とは別物です」
マグバードという名であるらしい警護隊長の言葉に、イズラナク王は苦虫を噛み潰したような表情になった。
「では、そちはいったい余にどうせよと言うのだ? テルナによれば、件の女闇術師は再度の襲撃をほのめかせておったそうではないか」
「ですから、市中の見回りをさらに二倍に増やし、人の出入りを厳しくしてですな……」
マグバードは己れの意見を一気に披瀝しようとしたが、イズラナク王はそれを聞いていなかった。
王は別の……自分の目の前に控えた男を見ていた。
「おおっ。そうじゃ」
王は言った。
「ヴェスラ・テスラニオンよ。《大陸》の東西で武勇を誇り、名誉を欲しいままにしてきたそちならば可能であろう。どうかテルナを、我が娘をかの闇術師どもの手から護ってはくれまいか」
「王! この上、どこの馬の骨ともわからぬ輩を王宮内に入れるのはこのオンジアス・マグバード、承伏しかねますっ!」
マグバードが抗議の声をあげた。
が、言われた方の本人であるテオンは発言の真意を図るように、イズラナク王の表情を読んでいた。
「王様。そこな方が申される通り、極言すればわたしくは“どこの馬の骨ともわからぬ他所者”でございます。それでも、よろしいのですか?」
「構わぬ。余は身分の貴賎にこだわらず、真に才ある者を重用するのじゃ。余の言葉、受けてくれるか?」
決然と言い放ったイズラナク王の言葉を受けて、テオンは深く頭を下げた。答える。
「よろしゅうございますが、……一つ、条件がございます」
「条件……とな?」
王が怪訝げな表情をつくる。
マグバードがさも軽蔑した目でテオンを見、低く笑った。
「はん。貴様に類する輩の吐くせりふはだいたい想像がつくわ。大枚の報償をふっかけて、それを受け取ればさっさと逃げ出すのであろう!」
「このヴェスラ・テスラニオン、世に男として生を受けたからには、稀代の美姫を護る守護騎士を自らの任と課すことになんら躊躇ございません!」
テオンはマグバードの侮蔑の視線を弾き返して、こう宣言した。
それから、声のトーンを一段落として、自分の“条件”を提示する。
「ですが……、被守護者であられるテルナ姫はうら若き乙女にございます。男のわたくしでは護り切れない状況がございましょう。そこで、ここに控えます女戦士メイエとともに姫を護ることをお許し願えるよう申し上げたいのです」
「むう……。メイエの罪を許せと言うか」
王がメイエを一瞥し、低くうめいた。
「王! このような下賎な者が申すことを真に受けてはなりませんぞ。メイエはテルナ姫さまを窮地に陥れた張本人なのですから」
「確かに、メイエには落ち度もありましたでしょう。しかし、こたびの騒乱の際、闇術師の放った妖獣に一太刀浴びせ、最終的に姫を護ったのはメイエにございます。その働きの確かなことはこのヴェスラ・テスラニオン、この目でしかと見ております」
「むう……。ここはどうしたものであろうな? ロドース卿」
判断に困ったイズラナク王は控えた家臣たちの一人を振り返って、問いかけた。
マグバードが武官の筆頭であるとすれば、問われたロドース卿なる家臣は文官の長であろうか。これまた王と同じように見事な美髭を蓄えた初老の貴族紳士である。
深く一礼したロドース卿は思慮深そうな声で、こう答えた。
「決断は王がなさるもの。我ら臣下は王の定められた通り動くのみにございます」
「よし! わかった」
ロドース卿の意見を聞いて、王は玉座を立った。
「イズナラク・オル・ゴートの名において、ヴェスラ・テスラニオンを王室警護官の任に叙する。また、すでにその任にあるメイエ・ラ・アカナバルは過日の過失に関する罪一等を減じ、その任に留まるものとする。二人とも、ともに協力し、テルナを護ってくれい」
「ははあっ」
かくして、テオンはメイエと二人でテルナ姫を怪しげな闇術師二人組から護ることとなったのだった。