邂 逅

- Encounter -

はじめに不仲ありき。

--- 東暦七世紀の賢人リニア・スクエヴェニオンの言葉
「ちょっとお嬢さん」
「きゃっ」
 人混みの中で突然声をかけられ、テルナは小さな悲鳴をあげて飛び上がった。
「どうだね? この珠を買わないかね。わざわざインズオス河の河原までいって探してきた原石を磨いたものだ。本物の翡翠石だよ。すてきな彼氏への贈り物にぴったりだと思うんだがねぇ」
 怪しげな風体のおっさんが怪しげな石を手に、へらへらと笑っている。
「ちょいとあんた。この娘は臆病な性格なんだからね。あんまり脅かすようなやり方はやめてくんないかしら」
 おっさんとテルナの間にさっとメイエが割り込んだ。
「いや、わしはお前さんでなくて、そっちのお嬢さんにだな……」
「彼女への用はまずあたしが聞くよっ」
 メイエの剣幕に、おっさんはたじたじとなった。それでも何とか商売人としての矜恃を取り戻す。
「そんじゃま、とりあえずあんたでもいいや。ほら、本物の翡翠なんだ」
「これが翡翠だってぇ?」
 メイエはおっさんの手から石をひょいと取り上げると、片目をつむって光に透かすようにした。
 背の低いおっさんは身長が一リラーイ近くあるメイエが持つ石を簡単に取り返すことができない。彼は慌てた。
「ちょ、ちょっとあんた。人の売り物を勝手に……」
「はん。大地の理りをしろしめす土龍(ランドラゴン)の名にかけて、こいつは翡翠なんかじゃない。ただの石っころじゃないの。一ラシル(《大陸》西方の標準的な通貨。だいたい、駄菓子屋の飴玉一個が一ラシルと言われる)の価値もありゃしないわ」
「お前さん、いったい何様のつもりで人の商売を邪魔しようってんだい」
 ようやく売り物の石を取り戻して赤い顔で怒り狂うおっさんの前で、メイエはけろりとしている。
「何様のつもりかって? あたしはこれでも大地の豊穣を司る地母神ラ・ガイアさまに仕えていたことがあるんだからね。こんな形で大地の恵みを騙る奴ぁ許しておけないのよ」
 言いながらメイエは自分の体をすっぽりとおおっていたマントの前を少し開いて見せた。
 夜の闇の中にメイエの太腿の輪郭が白くぼんやりと浮かび、おっさんは一瞬でれ〜っとやにさがった。が、遅れてメイエの行動の意図を悟って、真っ青になる。
 メイエのマントの裏地には、びっしりと細かい呪的な紋章……“呪紋(メルセノニオン・ルーン)”が描かれていたのである。そして、腰には柄に宝玉を埋め込んだ細身の剣……。
 こんな風に呪的結界をマントとして身に羽織り、魔法で強化された武器を身につけている職業の人間はただ一種類である。
「ひっ! あ、あんた、ま、魔法戦士……」
「この場であたしにガマガエルに変えられたくなかったら、さっさとその石っころを持って今すぐ消えるこったね!」
「こ、こりゃまた恐れ入りました。そ、それじゃあわたしはこれで。てへへ」
 おっさんは照れ笑いなんぞ浮かべながら、そそくさとその場から去っていった。
「ったくぅ。あの手のイカサマ野郎は世界中どこにいっても必ず居やがるんだからぁ」
 メイエは両手を腰にやって、嘆息した。
 その大げさな仕草を見て、テルナがくすくす笑う。
「うふふ。文句を言っている割に、貴女自身は会話を楽しんでいるようでしたよ。メイエ」
「滅相もない、テルナさま……じゃなくって、“テリシア”さま」
 危なく本名を呼びかけそうになって、メイエは慌てて偽名の方を呼んだ。
 今ここに居るのは、オル・ラハート王国唯一の王位継承者テルナ・オル・ゴート姫のお忍びの姿ではなく、ごくふつうの商人の娘テリシアなのだ。誰がどう言おうと。
「笑っている場合じゃありませんよ。町中はスリルがあって確かに楽しい場所ですが、同時にさまざまな危険の満ちた場所なのです。たとえば……」
 メイエがここまで言ったとき、突然彼女の肩を背後からぽんと叩く者があった。
「ヘイ、彼女。夜もこんな時間に若い女の子が二人だけかい?」
 筋骨たくましい身の丈一リラーイを越える黒髪の男……テオンである。
 《風の里標》亭を出た彼は酒の一杯でもひっかけようとこのオル・ラハート一の繁華街《黄金のカウメル》通りに出て来たばかりだった。懐の具合と店の格とを相談しながらふらふらと歩いているところに町娘らしい女の子の二人組を見つけ、ふといたずら心を起こしたのである。
 が、メイエは話しかけてくる彼にはまるで頓着せず、テルナへの説明を続けた。
「ほらね。こーゆー異様にノリの軽いバカ男がどーにかして女の子をだましてやろーと鵜の目鷹の目光らせて狙ってるんですから。気をギュッと引き締めて、ゆるめちゃだめです」
「おいおい、彼女彼女。その“いよーにノリの軽いバカ男”っつーのは誰だよ?」
「決まってんじゃない。そりゃもちろん……」
 メイエがくるりと振り返り、しつこく食い下がるテオンにびしりっ! と人差し指を突きつけた。
「あんたみたいな奴のことよっ!」
「これはこれは。可愛い顔して、初対面の相手にいきなり手厳しいこと言うんだねェ」
 テオンは懐の深いところを見せようと鷹揚に、見ようによってはへらへらと笑ってみせた。
 しかし、メイエの表情は堅いままだった。
「はん。正直者を装ってあたしたちをごまかそーったって、そーは問屋が卸さなくってよ」
「いやいや。君たちみたいな可愛い娘ちゃんなら、問屋なんか通さずに直接おつきあい願いたいもんだ」
 へらへらした笑みを崩さないテオンに、メイエは自分の掌で顔を叩いた。
「ったくぅ〜。あんたもほんと厚顔無恥ね。そんなこと言ってて、自分が恥ずかしくなんない? いまどきそんな口説き言葉に引っかかる娘なんて居ないわよ」
 とメイエがそこまで言ったとき、頭を抱えている彼女の背後でテルナが顔をうつむかせ、ささやくように言った。
「あのぉ……。やっぱり正式なおつきあいとなると、わたくしもお父さまに許可を……」
「ららららら」
 本気で羞恥に赤く染まっているテルナに、メイエはコケそーになった。
「テル……じゃなくって、テリシアさまっ! こんなケーハク男の口説き文句を真に受けるんじゃありませんっ」
「でも、おつきあい願いたいって……」
「このテの手合いは『こんにちは』の代わりに『彼女ォ、つき合ってくれよぉ』、『今日は天気がいいですね』の代わりに『彼女ォ、俺に抱かれてみる気はねーかい?』って挨拶するんですっ」
「いくら何でも、初対面の娘にそこまでするかいっ」
「あら、ほんとに?」
 メイエにちろりと色っぽい流し目を送られ、テオンは反論しようと口を開きかけたまま凍り付いた。
「……いや、まぁそらそーゆーこともあったかも知れねーけどよ」
 ほっぺたを左の人差し指でぽりぽり掻く。仕草が意外に可愛い。
 メイエは得意になった。
「ほら、見なさい。あたしはね、あんたみたいな脳味噌が性器に直結してるよーな男を見ると虫酸が走っちゃうのよ。さっさとこの場から姿を消してちょうだい」
「……ちょっと待てよ」
 メイエの言葉に、さすがのテオンもかちん、ときた。
「お前、いくら俺が軽薄だからって、“脳味噌が性器に直結”呼ばわりはねーだろーが。ちっと可愛い顔してるからって、世の中言っていいことと悪いことがあんぜ」
「ふんっ。別にあたしはあんたから世の中のことを教わろーなんてハナっから思ってないわよっ」
「ほんとお前ってば顔は可愛いのに、性格はブスだな。そんなんじゃ嫁にいけねーぞ」
「あんたに嫁の心配までしてもらわなくても結構よっ! 下んない話はいい加減にしてさっさと逃げないと、このエンチャンテッド・ブレード(魔法で強化された細剣)でその鼻っ柱をたたっ切ってやるから!」
 叫びながら、メイエは腰に佩いた剣へと手を伸ばした。ここまでやると、たいていの男はマント裏の呪紋と宝玉のはまった剣に気づいて及び腰になる。
 しかし、テオンは違った。
 彼はメイエの思惑とは逆に、彼女を鼻で笑い飛ばしたのである。
「はん。その呪紋は“緑雲紋(テグハビア・ルーン)”、聖真教北派が使う紋章でもいっちゃんローランクの奴じゃねーか。そんなもん見てビビるのは、せいぜいニセ宝玉売りのおっさんくらいだろーぜ」
「なっ、何ですってぇっ!」
 魔法(メルセノニア)を扱う者としての矜恃を著しく傷つけられ、メイエはかっと激昂した。
「あんたこそ、人に言っていいことと悪いことがあるわよっ。そこに直りなさい。今すぐあたしがその素っ首たたっ切ってやるから!」
 メイエがすらりと赤鋼色に輝くブレードを抜いた。
「おおっ!」
 通りの真ん中で何事が始まったのかとその周囲を取り囲み始めていた野次馬たちの間から、歓声とも悲鳴とも取れる声が上がった。
「……お前、冗談は笑って済ませられるうちにやめておいた方がいいぜ」
 メイエの低い詠唱とともに微光を放ち始めるブレードを見ながら、テオンの瞳の色も冗談モードから本気モードへと遷移しつつあった。
 しかし、その一触即発の危機は思わぬ形で回避されることとなった。
 その契機は二人の争いの蚊帳の外に置かれていたテルナの喉からほとばしった悲鳴だった。
「きゃあっ! メ、メイエっ! 助けてェっ!」
 黒い影がごくふつうの町娘に変装したテルナ姫を連れ去ろうとしていた。


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